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自衛隊奮闘 災害派遣「10万人態勢」1ヵ月半 (河北新報)


 東日本大震災で自衛隊は、隊員のほぼ半数に上る「10万人態勢」を敷いて捜索や生活支援の活動に当たっている。災害派遣では過去に例のない規模だ。自衛隊に



▽つづきはこちら

災害の規模が凄まじかった。

自衛隊が頼りになるのも確か。

とはいえ、少しばかり自衛隊に頼りきる期間が長すぎるような気が。


自衛隊の災害派遣は本来、(1)公共性(2)緊急性(2)非代替性―の3原則を満たすのが条件で、任務は初動対応に限定している。



ともあるように、本来ならそろそろ仕事を割り振られた民間の企業が復興に当たっているものでないか。

隊員だって被災しているものが多いというのに、いつまでも休めないのは酷だ。

また、被災地の救援も必要だが、日本全体の国防が疎かにするのもまずい話。

原発の問題もある上に、政治主導(笑)に定評がある民主党が、政権与党としての業務を自粛しているとあって、うまく回らないのかもしれないな。


以下、全文。


河北新報 4月29日(金)6時13分配信

 東日本大震災で自衛隊は、隊員のほぼ半数に上る「10万人態勢」を敷いて捜索や生活支援の活動に当たっている。災害派遣では過去に例のない規模だ。自衛隊にとって東北の重要拠点である陸上自衛隊多賀城駐屯地(多賀城市)は津波に襲われるなど被災。家族を亡くした隊員もいる。震災発生から1カ月半を迎え、規模縮小も検討される中、自衛隊員が被災地で奮闘している。(佐藤夏樹、水野良将)


◎駐屯地が被災/津波で隊舎浸水、車両は水没…/ボートで出動住民救う

 災害派遣の拠点となる多賀城市の陸上自衛隊多賀城駐屯地。仙台港に近く、砂押川に面した平地にある。
 3月11日午後2時46分。地震が発生した時、多賀城駐屯地には約800人の隊員がいた。約30分後に気仙沼市や石巻市に連絡要員を派遣。午後3時30分、出動に備え、同駐屯地所属の全隊員約1500人がそろった。午後3時42分、グラウンドに災害派遣の車両などの配備が完了した。
 「津波が来る!」との情報が流れ、午後3時57分、全隊員が各隊舎の屋上に避難した。大声で避難を呼び掛けた合瀬教弘3尉(44)は「若い隊員は、まさかここまで津波が襲ってくるとは思っていない様子だった」と振り返る。
 2分後、グラウンドに水が流れ込んだ。午後4時2分、水は勢いを増して正門を破壊し、隊舎1階が浸水。屋上にいた隊員たちはあぜんとし、言葉を失った。一斉に携帯電話で家族の安否を確認しようとするが、つながらない。
 1台の車が駐屯地内に流されてきた。「人がいるかもしれない」。隊員が叫ぶ。午後4時10分、津波の勢いが収まるのを待って、隊員5人がボートで車に向かった。中に人はいなかった。
 水に浮かぶ車から、防犯ブザーの音がむなしく鳴り響く。雪が降りしきる。屋上に避難した隊員たちの指先の感覚がなくなってきた。遠くに黒煙と炎が見える。「悪夢を見ているようだった」と合瀬さんは言う。
 午後5時31分。隊員たちはボートで多賀城市内の住民の救出に向かった。救出活動は夜通し続き、12日朝までに約700人を救助した。
 隊員たちがようやく家族と連絡が取れたのは、震災から4日後。同駐屯地の隊員の半数以上が宮城県出身という「郷土の部隊」だ。家族が被災した隊員も少なくなく、両親を亡くした隊員もいる。隊舎のほとんどが水に漬かり、配備していた車両は水没した。
 合瀬さんは「自分たちのことは後回し。住民を救うことを第一に考えるのが責務だ」とした上で、「家族を失った仲間が気丈に任務に当たっていると思うと、本当につらい」と語る。
 航空自衛隊松島基地(東松島市)も津波の濁流にのまれ、航空機とヘリコプター計28基が水に漬かった。がれきと泥がたまった滑走路は5日間で修復、3月17日に輸送機の第1便が到着した。


◎懸命の捜索/がれきの山、丁寧にかき分け/遺族感情に配慮し作業

 東日本大震災で多くの家が津波に流され、焼け焦げた小学校や車が残る石巻市門脇地区。同地区では、第44普通科連隊(福島市)が最も多い時は600人態勢で捜索に当たり、これまでに約600体の遺体を見つけた。がれきの山が連なる町に、あとどれだけの遺体が眠っているのか、隊員たちにも分からない。
 墓地の上に、流されてきた家の2階部分が乗り上げていた。「母と祖父が中にいるかもしれない」。今月20日、公務員佐々木美幸さん(37)=仙台市泉区=は、変わり果てた実家をじっと見つめていた。
 自衛隊員が重機で屋根や壁を慎重に取り壊した。隊員約20人が、不明者を傷つけないよう、がれきを一つ一つ丁寧にかき分ける。
 作業に当たる牧野桂治1尉(43)は「遺体の傷みも激しくなっている。傷つけないよう気を使う」と話す。家屋の解体に当たっては、できるだけ所有者の許可を得るよう心掛けているという。「そのため、作業に時間がかかっている」と説明する。
 「遺体が見つかったぞ」。捜索していた隊員の声に、辺りに緊張が走った。佐々木さんはゆっくり近づいた。遺体は男性で、かろうじて顔が判別できた。「違います」。祖父ではなかった。遺体はシートにくるまれ、安置所に運ばれた。
 この日、母と祖父は見つからなかった。でも、隊員が母の写真やアルバムを見つけてくれた。佐々木さんは「大事な思い出を取り戻してくれた。本当に感謝します」と語った。
 震災から1カ月以上が過ぎ、同地区では遺体はほとんど発見されなくなってきている。現場の隊員には「もう捜す所はほとんどない」との思いもにじむ。がれきと遺体に向き合うことで、疲れやストレスに悩まされる隊員もいるという。
 震災直後から捜索に当たっている下条拓也3曹(27)は、遺族の気持ちを思って自らを奮い立たせる。「遺体を見続けると精神的につらいし、いつまで続くか分からない任務は苦しい。でも、被災者の痛みはこんなものではない。音を上げるわけにはいかない」と、捜索活動を続ける。


◎全力で救助/石油コンビナート爆発炎上/冷静に200人誘導、輸送

 3月12日未明、多賀城市大代の小野屋ホテル。自宅が津波で被災した同市の会社員伏見正浩さん(38)は、4階建てのホテルの3階に避難していた。
 「ドカーン! ドカーン!」
 けたたましい爆発音が何度も鳴り響き、部屋の窓が震動した。恐る恐る外を見ると、南に約1キロ離れた石油コンビナートから炎が上がっていた。
 ホテルやコンビナートの近くには、砂押川が流れる。11日の大地震後、油を積んだタンクローリー5台が川を流されていった。伏見さんはその光景を、闇夜に浮かぶ赤い光を見ながら思い出した。
 「油が混ざった川に燃え移ったら、このホテルにも火が及ぶかもしれない」。死の恐怖さえ感じた時、自衛隊員約15人が救助に現れた。
 隊員は各部屋やトイレを回った後、避難者約200人に対し、落ち着いた口調で「爆発で危険なので、外に逃げてください」と指示した。
 道路は泥水にまみれ、砕けた瓦やブロック塀があちこちに散乱していた。隊員は携帯していたライトで地面を照らし、避難者を近くの歩道橋まで誘導。トラックや車で、陸上自衛隊多賀城駐屯地まで輸送した。
 駐屯地で数日を過ごした伏見さんは「隊員自身、家族や知人の安否が気掛かりだったはずなのに、気丈に振る舞っていた。冷静に、的確に避難させてくれたおかげで、パニックにならずに行動し、助かることができた」と深く感謝している。


◎これまでの活動実績/9100遺体収容/給水220トン/食事300万食提供/仮設風呂43ヵ所

 東日本大震災で、自衛隊が全国から派遣している人員は1日当たり約10万6000人に上る。自衛隊員約23万人弱のほぼ半数を投入する「10万人態勢」を3月19日から維持。阪神・淡路大震災の約4倍の規模だ。
 自衛隊員は今回、災害派遣としては初めて、陸海空による統合任務部隊を結成。今月28日現在で陸自約7万人、海自約1万4200人、空自約2万1000人、原子力部隊約450人と航空機490機、艦船53隻を投入している。これに米軍の支援が加わる。
 沿岸部での行方不明者の捜索は久慈市、岩手県岩泉町、野田村、田野畑村、岩沼市、宮城県亘理町などで終了。捜索を終了した部隊は、気仙沼市や石巻市、名取市などの捜索部隊に増員として参加している。
 避難所への物資輸送では、自治体への支援物資の窓口を自衛隊が担当。全国の駐屯地などで支援物資を受け取り、被災地への輸送を主導した。給水や炊き出し、避難所を回っての慰問演奏会、がれきの撤去、道路の整備など自衛隊の活動は多岐にわたる。
 25日現在で自衛隊が収容した遺体は9100人余り、給水は約220トン、提供した食事は約300万食。入浴支援では19日現在、43カ所に仮設風呂を設営した。
 自衛隊の災害派遣は本来、(1)公共性(2)緊急性(2)非代替性―の3原則を満たすのが条件で、任務は初動対応に限定している。実際、阪神・淡路大震災では発生12日で、岩手・宮城内陸地震では9日で行方不明者の捜索を終えている。
 今回の派遣は異例の長期となっているが、行方不明者の捜索は手付かずの地域が少なくなった上、民間でも代替可能な生活支援が増え、規模縮小が検討され始めた。

最終更新:4月29日(金)6時13分


引用元:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110429-00000006-khk-l04

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