東日本大震災 「サンマのたれ」社員一丸で守った 気仙沼 (毎日新聞)
2011.04.26 |Category …国内
宮城県気仙沼市の水産加工業者が、20年間作り続けてきたしょうゆベースのたれを東日本大震災の津波から社員が一丸となって守り、再起を図ろうとしている。
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格好いい。
約1キロ走ったところで車は津波に追いつかれた。梶原さんは車に乗ったまま約100メートル流され、近くの倉庫の屋根に飛び乗った。
「車が流されていく方向をずっと見ていたから場所は分かった」
こんなにも危機的な状況にあって、自分の身を何とかできただけでもたいしたものだが、タレのことも忘れなかったとは。
以下、全文。
毎日新聞 4月26日(火)10時28分配信
宮城県気仙沼市の水産加工業者が、20年間作り続けてきたしょうゆベースのたれを東日本大震災の津波から社員が一丸となって守り、再起を図ろうとしている。「命の次に大事なたれさえあれば、自慢の味が保てる」。斉吉商店の斉藤純夫社長(49)は希望を捨てずに前を向く。
【しょうゆ守った】東日本大震災:200年の「命」つないだ
しょうゆや砂糖を煮立てたたれは、サンマのつくだ煮や押しずしに使ってきた。加工業を始めて約20年間、一度も絶やさずに何度も煮汁を加えた「返しだれ」はまろやかなコクを生み出した。
「災害時の第一持ち出し品です」。斉藤さんの妻の和枝専務(49)は、震災前から冗談交じりに客に話していた。加工工場は気仙沼湾の先端にあり、津波が来たらひとたまりもないからだ。
及川純一工場長(39)は約5年前から返しだれを5キロほど真空パックにし、リュックサックごと冷凍庫に入れて保管していた。「津波が来たらすぐに持ち出せるよう、持ち出す訓練もしていた」
3月11日、津波警報が発令されると、及川工場長はリュックを背負って工場を飛び出し、保冷車に乗せた。「頼んだぞ」。社員の梶原幸紀さん(40)が運転し、海と反対方向へ、思い切りアクセルを踏み込んだ。
約1キロ走ったところで車は津波に追いつかれた。梶原さんは車に乗ったまま約100メートル流され、近くの倉庫の屋根に飛び乗った。
「車が流されていく方向をずっと見ていたから場所は分かった」
震災から3日後。「社長、プレゼントです」。梶原さんは車から見つけ出したたれを斉藤社長に手渡した。「従業員が無事だっただけでよかった。たれはもう駄目だと思っていた」。たれを手にした斉藤社長は、がれき一面となった古里に希望を見いだした気がした。その日は斉藤社長の誕生日でもあった。
斉吉商店は気仙沼市などで被災した6業者で、出資金と寄付金を募る「被災地応援ファンド」を設立した。出資金などを元手に材料を仕入れ、唯一残ったバラック小屋を使って9月をめどに製造を再開したいという。「正直、出資のリターンはほとんどできないかもしれない。それでも応援してくれる人の気持ちを励みに、良い商品で恩返ししたい」と斉藤社長は話す。
ファンドの詳細はファンド運営会社「ミュージックセキュリティーズ」ホームページ(http://www.musicsecurities.com)。【鈴木一也】
最終更新:4月26日(火)12時37分
引用元:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110426-00000009-maip-soci