元海上保安官の検察庁挑発発言の考え方 - 早川忠孝の一念発起・日々新たなり - BLOGOS(ブロゴス)
2011.01.24 |Category …社会
一色という元海上保安官が国士なのかどうかよく分からないような発言をされている。余りいいことではないと思われるので、ひょっとしたら何か勘違いされているかも知れないと思われることを指摘しておきたい。
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誰でも見れる状態になっていた映像を自分で録画して保存し、マスコミに提供してみたが相手にされなかったので、今度は匿名で漫画喫茶からユーチューブに投稿してみたが、騒ぎになったので取り消した。
第三者の目で見ればそういうことになる。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
それはないわ。
実際に世論調査では「映像を公開するべき」「映像は機密に当たらない」という認識になっている。
サイレントマジョリティ(笑)まで考慮したらどうなるかわからないし、もしかしたらこの数字は何者かによって操作された可能性だってあるが、こうした傾向というのは衝突事件直後からあったはずで、なのに大スクープとなるはずのネタにそっぽを向くマスゴミ……これに対して異様な感触を抱くほうが先ではないか。
また同僚や組織に迷惑をかけぬようにと保安官は名乗り出たはず。そのことについて、保安官の覚悟が足りないとまで考える人がそんなにたくさんいるだろうか。
以下、全文。
早川忠孝提供:早川忠孝の一念発起・日々新たなり
2011年01月23日08時10分
一色という元海上保安官が国士なのかどうかよく分からないような発言をされている。
余りいいことではないと思われるので、ひょっとしたら何か勘違いされているかも知れないと思われることを指摘しておきたい。
特に一色氏を擁護したり、あるいは特に非難する趣旨ではないので、冷静に受け止めていただければ幸いである。
検察官に起訴させておいて裁判で徹底的に有罪、無罪を争い、結果的に国家公務員法に定める守秘義務違反の問題点を国民に知らしめ国民に警鐘を打ち鳴らすということであれば、それはそれで意味のあることだと思う。
しかし、現実に一個人が刑事被告人の立場を引き受けることになると、裁判が決着するまでに大変な時間と費用を費やすことになる。
自分の一生を裁判にかけるぐらいの覚悟が必要になる。
その精神的な苦労は尋常ではない。
寝ても醒めても自分の事件のことを考えるようになる。
自分では自分の主張が正しいと信じていても完全に信じ切れないのが現実だ。
ひょっとしたら裁判官は検察官の言い分を正しいと判定するかも知れない、いや検察官の言い分を聞いてしまうはずだ、などと自問自答するようになる。
病を抱えている人は病が重くなる。
外の大事な用件には殆ど気が回らなくなり、段々不機嫌になる。
いつまでたっても気が晴れなくなる。
一色氏の行動を見てみると、とてもこういう負担には耐えられないと思う。
潤沢な資金と豊な人脈、さらには世論の応援があってはじめて裁判の負担に耐えられるようになる。
すべてが中途半端な我々では、とてもこういった難しい裁判には耐えられない。
まあ、ほどほどにされていた方がいい。
一色氏が主張されるとおり、秘密性の観点から尖閣ビデオの映像のユーチューブへの投稿をもって直ちに国家公務員法上の守秘義務違反とすることには疑義があることはそのとおりなのだが、しかし一色氏の行為は別に誇らしげに語れるような行為でもない。
誰でも見れる状態になっていた映像を自分で録画して保存し、マスコミに提供してみたが相手にされなかったので、今度は匿名で漫画喫茶からユーチューブに投稿してみたが、騒ぎになったので取り消した。
第三者の目で見ればそういうことになる。
辞職されなかったら起訴になったかも知れない。
辞職という社会的制裁を受けている、という事情が検察官の起訴猶予の重要な要素になっていることは間違いないのだから、辞職の決断をされた段階で起訴猶予になることを願われたと思う。
起訴猶予処分が出るまでにもしマスコミでご自分から起訴を求めるような発言をされたら、検察官はおそらく起訴せざるを得なくなったと思う。
起訴猶予になったから無罪放免だ、などと思われない方がいい。
検察審査会法の改正は、こういう事件の最終処理にも影響してくる可能性があるからだ。
引用元:
http://news.livedoor.com/article/detail/5289330/