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<シベリア抑留死>没後66年 遺骨、兵庫の遺族の元に (毎日新聞)


 第二次世界大戦終結後、ソ連によってシベリアに抑留され死亡した日本兵、宮内林蔵さんの遺骨が、没後66年を経て兵庫県の遺族の元に戻った。抑留者の個人記



▽つづきはこちら

どこかの国が主張しているような強制連行(笑)は妄想の産物だけれど、こうして日本兵が帰ってこれなかった出来事は現実のものなんだよね。

政府は(国民も、だが)どこかの国の与太話に付き合って謝罪と賠償がどうとかやっている暇があったら、こちらの方を真剣に考えるべき。


以下、全文。


毎日新聞 2月2日(木)8時42分配信

 第二次世界大戦終結後、ソ連によってシベリアに抑留され死亡した日本兵、宮内林蔵さんの遺骨が、没後66年を経て兵庫県の遺族の元に戻った。抑留者の個人記録に関する毎日新聞の報道がきっかけ。長男の宏さん(72)は「あきらめていた。お墓で母と一緒にしてあげられる」と、胸をなでおろしている。

 林蔵さんは1907年、大阪市出身。44年10月、陸軍に召集され満州(現・中国東北部)に渡った。当時5歳の宏さんにとって「遊園地へ連れて行ってくれる優しい父」。大阪の港で、手を振って出征を見送った。

 家族にもたらされたのは訃報だけで、死亡日時や場所は不明のまま。だが昨年8月、宏さんは新聞記事で、厚生労働省にロシア政府から提供された抑留者の個人記録があることを知った。同省への開示請求により、林蔵さんは46年3月、栄養失調のため野戦病院で亡くなったと判明。さらに、遺族が希望すればDNA鑑定による遺骨の照合ができると知って申請したところ、01年7月にロシアの極東、アムール州で収集された遺骨が林蔵さんのものと分かった。

 遺骨は今年1月25日、西宮市の自宅に届けられた。「どこで亡くなったかも分からず、まさか帰ってくるとは思わなかった」と宏さん。93年に亡くなった母千鶴子さんが眠る墓に、今春埋葬するという。宏さんは「遺骨を捜す制度があることを、行政は周知徹底してほしい」と話している。

 厚労省は旧ソ連地域やモンゴルに約57万5000人が抑留され、うち約5万5000人が死亡したと推定している。DNA鑑定は03年度から行われ、これまでに828人の身元が判明した。【栗原俊雄】

最終更新:2月2日(木)10時26分


引用元:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120202-00000011-mai-soci

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