<東日本大震災>避難場所でない「防災センター」に68遺体 (毎日新聞)
2011.09.15 |Category …社会
大地震直後、本来の避難場所ではないのに多くの人が集まり、津波の犠牲になった岩手県釜石市の「鵜住居(うのすまい)地区防災センター」。これまでにセンタ
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岩手県にも過去に大きな津波被害があったようで、そういう土地柄、本来の避難場所を知らないことにも問題があったのでないかな、と。酷な言い方だが。
日頃の避難訓練に参加してもらえない、などという理由で避難場所について妥協してしまったことは問題であるが、それだって現状を踏まえた協議の結果であって、積極的に「洗脳」したわけでも「騙した」わけでもないだろうに。
まあ、やっぱり、津波が想定外に大きすぎたことが悲劇だったんだろうな。
以下、全文。
毎日新聞 9月15日(木)0時5分配信
大地震直後、本来の避難場所ではないのに多くの人が集まり、津波の犠牲になった岩手県釜石市の「鵜住居(うのすまい)地区防災センター」。これまでにセンター内と周辺で計68遺体が見つかった。この半年の間に惨事の経緯が少しずつ明らかになり、やるせなさは募るばかりだ。「これは人災だ」。悲しみが怒りになりつつある遺族もいる。【池田知広】
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今月3日朝。菊池通幸さん(64)=釜石市定内町=はセンターを訪れ、長男辰弥さん(35)の妻琴美さん(当時34歳)と孫の涼斗(すずと)君(同6歳)が好きだったコーヒーを供えた。「あっという間に半年たった。まだ区切りがつかねえ」
3月11日、鵜住居地区に来ていた琴美さんと涼斗君は、センターへ避難して亡くなった。辰弥さんは何度も現場に足を運び、4月7日、センター内の泥の中から涼斗君の遺体を見つけた。背中とおしりが地表に出ていて、ベージュのズボンに見覚えがあった。
市によると、周辺の避難場所はやや離れた高台にある鵜住(うずみ)神社などだが、多くの住民がセンターへ避難した。市はその数を「約100人」とするが、通幸さんによると「200人ぐらいいた」との証言もある。センター内で63人、隣の鵜住居幼稚園で5人の遺体が見つかった。
同地区の佐藤美佐江さん(51)もセンターへ避難。2階ホールは人でごった返し、「少しでも高い所へ」とステージに上がった直後「ドー」と音を立てて泥水が入ってきた。水は天井近くまで迫り、首がぎりぎり出せるくらい。ようやく水が引くと、ホールに多くの人が倒れ、2階の窓枠につかまっている人もいた。「助けを求める声が、ずっと耳に残っているんです」
三浦信子さん(64)は近くのお年寄り6人と声を掛け合い、センターへ避難した。センターが完成した昨年1月以降、避難訓練を繰り返してきたからだ。「無意識に『防災センターへ』と洗脳されていた。『本来はここじゃない』と教えてもらっていれば」。一緒に避難した6人は全員亡くなった。
訓練は震災8日前(3月3日)も実施され、この時も町内会と市が協議してセンターを避難場所にした。町内会長の男性は「お年寄りも大変だし、呼びかけてもなかなか参加してもらえなかったから。大ざっぱだったかもしれない」と釈明する。
釜石市は8月9日、遺族らへの説明会で▽昨年2月のチリ地震で34人▽同5月の津波避難訓練で68人▽今年3月3日の訓練で101人--がセンターに集まったと説明。「本来の避難場所を周知し、適切な指導を行うべきだった」と責任を認めた。
妻(当時29歳)、長女(同2歳)、次女(同1歳)の家族3人を失った佐野秀美さん(42)=同市野田町=はこの説明会で、複数の消防士がセンター屋上に避難し無事だったことを知った。「せめて子どもだけでも屋上に上げてほしかった」。突然独りになり、何をしても気が乗らない。「時間が止まった感じです。3月11日に何があったのか。本当のことを話してほしい」
菊池辰弥さんは説明会を途中で退席した。市の課長が「必要なのは逃げる意識です」と発言したことに怒りを覚えたからだ。「『周知不足でした』と釈明しながらも『逃げる意識』とか言って、個人に責任を押しつけているようだ。人災ですからね、これは」
泥とがれきまみれだったセンター内部は9月初め、きれいに片づけられた。あまりに多くの犠牲者を出した建物は、外から見る限り今も使えそうに思える。それがかえって、悲しかった。
最終更新:9月15日(木)11時39分
引用元:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110915-00000001-mai-soci