避難開始まで40分=保護者に説明会―児童74人死亡不明の大川小・宮城 (時事通信)
2011.06.05 |Category …社会
東日本大震災の津波で在籍児童74人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校は4日夜、同市内で、震災後2回目の保護者説明会を開いた。避難の経
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これだけを見ると、意外と時間がかかっているな、とも感じるが、名簿の照合やら住民への対応やらが必要だったようで。
それにたしか、彼らが目指した避難先の高台だかも、結果的には津波に飲み込まれていたはず。時間に余裕があれば、さらにそこから避難することもできたかもしれないが……。
不手際がどうこうというより、想定していた津波の規模が桁違いだったところに大きな原因があるわけで。
完全に手詰まりでどうにもできなかったのか、といえばそうでもなかったかもしれないが、いつでも誰でも乗り切れたのか、といえば、やはりそうでもないような。
責めるのは酷な気がするなあ。
以下、全文。
時事通信 6月4日(土)22時38分配信
東日本大震災の津波で在籍児童74人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校は4日夜、同市内で、震災後2回目の保護者説明会を開いた。避難の経緯を調査した市教育委員会は、地震から避難開始まで約40分かかったことを明らかにした。
説明会には保護者70人が出席し、市教委や柏葉照幸校長が調査結果を報告した。
市教委によると、大川小では地震発生から津波が来るまで約50分あった。しかし、児童が教職員の誘導で避難を始めるまで約40分かかった。教諭が児童を校庭に集めて点呼を取ったり、一部の児童が迎えに来た親と帰宅したりした際、名簿との照合に時間がかかったという。同校は地域の避難所に指定されており、集まった住民への対応に加え、教諭と住民との間で2次避難先の話し合いをしたため、避難に手間取ったとしている。
避難は上級生を列の前にして、校舎から約200メートルほど離れた北上川の橋近くにある土手に徒歩で向かった。しかし、途中で津波に襲われ、児童108人のうち68人が死亡、6人が行方不明となった。
最終更新:6月5日(日)8時27分
引用元:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110604-00000121-jij-soci